先日、春休みを利用して高1の孫と東日本大震災の被害地を廻ってきました。
4年前の出来事を風化させずに若い人たちにも伝え残すことが大切だと考えて、孫にも写真だけでなく現地で生の姿を見せてやろうと計画しました。
訪問先は:
1.東松島市=自衛隊基地から海岸沿いの被害地。
2.日和山公園=石巻市の60mほどの山、眼下に石巻漁港や市街地は広範囲に被
害をうけた。 多くの市民が山に登って津波から避難した公園。
3.大川小学校跡=新北上川河口から約5kmの小学校にも津波が襲い、多くの人が
犠牲になった。現場は鉄筋コンクリートの壁を突き破り、数センチ
の鉄骨が何本も入った柱が折れ曲がったまま残っている。
4.南三陸町防災庁舎=15.5kmの津波によりこの庁舎は破壊され、骨組みと各フ
ロアの床および屋根が残っている。
5.奇跡の一本松=陸前高田の松原にも10m程度の高さまで波をかぶったが一本だ
けが倒れず津波に耐え、枝も幹も残った。
初日は、上の1〜3を巡った後、新築されたJR女川駅を見物して宿へ、夕食は当然のことながら新鮮で豊富な魚を堪能しました。
二日目は、4と5を巡り帰途。
津波対策と復旧の為いたるところで土盛をしているが、その土は山をいくつも崩して運んでいる。途中の道路は工事用のダンプカーがひっきりなしに走り、ダンプのフロント部に地区名と工事名を表示していて、工事現場の出入り口ではダンプカーが最優先、“そこのけ、そこのけ、ダンプが通る”といった感がしました。
一方、高田では山を削って高台に住宅地を造成し、削った土砂は直接ベルトコンベアーで海岸近くに運んでいるので、ここではダンプは殆ど見当たらない。ベルトコンベアーは幅2mほど、長さは枝分かれしたものを含めると2km以上と巨大なもの。
住民の安心・安全は必要と思うが、山をいくつも崩すということは、自然を破壊していることなります。
この先10年20年後大震災の影響がどのようなものになるか、将来が恐ろしく思いました。
今回の旅行について高1の孫には感想をあえて聞かなかったが、黙々と写真を撮っていたので、彼なりに感じたことがあったと思いました。
疲れはしましたが2日間で900kmのドライブでした。
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